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十一番わたの原八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟参議篁(たかむら)の文(花山周子)

今回は、花山周子さんのお書きになった
十一番、参議篁(さんぎたかむら)の わたの原八十島(やそしま)かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟と歌です。
前回は(花の色は の歌が)好みじゃない。ってことだったけど、今回は好みじゃないどころかって感じの文体で、
あってみれば/わけがない/しかも/をこそ愛していたのであり/って文が文を巻きこんで、あたまの中のプールが知らんまに うずまきになっていたよ。そして歌がせつなかった。(今橋)

十一番 
わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟    参議 篁(たかむら)

歌意 広い海原をたくさんの島々目ざして漕ぎ出してしまったと、都にいる人に伝えておくれ。漁師の釣舟よ。
    所載歌集『古今集』羇旅(きりょ 旅のこと)    『原色小倉百人一首』文英堂より


参議篁。参議って、参議院を思ってしまう。実際に「参議」はやはり位の名前で、彼がこの歌を詠んだずっと後に冠された位である。彼の本当の名前は小野篁で、小野妹子の子孫にあたる。彼は、
「若き日より才知抜群をたたえられていたが、承和五年(八三八)遣唐副使に任命された時、漏水が発見された大使の船と取り替えよと命じられ、怒って体調不調と称して辞任」(『馬場あき子の「百人一首」』)
さらに、遣唐使そのものを批判する漢詩を書いたことでついに嵯峨天皇の怒りを買い、隠岐に流されることとなった。この歌はつまり彼が隠岐に流される途上で詠んだものである。隠岐への流刑は当時死を覚悟しなければならないものであって、大使に逆らってでも壊れた船に乗ることを回避しようと した彼であってみれば、隠岐へ赴くことに恐れがなかったわけがない。しかも彼は詩才さえ非常に優れ、彼を流刑に処した嵯峨天皇はもともと彼のその才能をこそ愛していたのであり、彼はつまり今でいうインテリであり、遣唐使のいきさつを自身の個人的な体験に帰せず、漢詩によって遣唐使そのものを批判するような極めて高潔な人であり、頭脳明晰な人であってみれば、自分の価値を十二分にわかっていたはずで、根拠のあるプライドがあったはずで、無念でなかったわけがない。にも関わらずこの歌は勇ましいのだ。「漕ぎ出でぬと人には告げよ」、この重たく籠った韻律に、彼の強固な矜持がにじむ。彼はそばに浮かぶ小さな釣舟に向かって彼の渾身の壮大な見栄を切った。「人には告げよ」。この「人」 に千年以上後の私が含まれること。彼の見栄がこの私にまで届いていること。なんてすごい人なんだろう。

大海に子供を釣れりこの子供われが育てん楽しく育てん     
            
これは、二〇一一年に私が詠んだ歌だ。震災のあった年だった。当時私は妊娠していて、この歌がいつの間にか頭の中に生まれ、それを書き出さず、ずっと呪文のように頭の中で唱えていた。この歌は私を支える音楽のようなもので、自分にとっての大切なお守りのようなもので、他の人には意味不明で構わなかった。だけど私は今回この歌を、今生きる私の見栄としてここに置こうと思った。

※「主婦と兼業」は花山周子と今橋愛のごくささやかな勉強の場です。ここから、新たな創作へ繋げていけたらと思っています。いいねやご感想などいただいて、とてもうれしく、励みになっています。どうぞよろしくお願いします。
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