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24番 このたびは ぬさもとりあへず 手向山(たむけやま)紅葉の錦 神のまにまに 菅家の文(今橋愛)

24番 このたびは ぬさもとりあへず 手向山(たむけやま)紅葉の錦 神のまにまに   菅家

歌意 この度の旅は、幣を捧げることもできない。さしあたって手向けの山の紅葉を幣として捧げるので、神のお心のままにお受けとりください。        所載歌集「古今集」羇旅(きりょ)

菅家、というのが菅原道真(すがわらのみちざね)と知らなかった。かんけ。羇旅(きりょ)は旅のこと。とんこつラーメン。太宰府天満宮。学問の神さま。唐津焼。博多人形という名のこけし。
小倉ワシントンのライトはスパゲッティ色やねんで。と むかえに来てくれた父母に話しだしたら話し止まない。たのしい旅行。旅行はたのしい。そんな子どもの頃の思い出のとこから この歌の作者、菅原道真には なんか不遇な人、というイメージがある。今。あちこちに天神さまが あっても しょうがないね。生きてる彼には追いつけなかった。

そんな不遇な人のイメージに引っぱられていたのか、歌を読み、歌意を読みしているときは「ぬさもとりあへず」。
自分には何にもありませんが、せめて この景色を、あなたさまにどうぞ。と頭を下げ、身体を低くかがめ、なけなしのもの─自分のものではない景色─をさしだしている姿を想像して、その行為のうつくしさ。じいんとするわ。と思いこんでいたら、それはまあまあ間違っていて。
道真が、この歌を贈った朱雀院(すざくいん)というのは宇多上皇で(※みおつくしてもあわんとぞおもうの元良親王のところでこの名前 出てきたな。と思いだしながら)この頃は、道真を重要な地位に用いていて、つまりこの2人のこの頃の関係はちょっとした蜜月(らぶらぶ)で。道真も まだ不遇な人でも何でもなく、漢詩人。文章(もんじょう)博士。右大臣にまでなるのやから そうなってくると じいん。は ひっくりかえり、背をのばし余裕の面持。

だけど、「ぬさもとりあへず」。幣(ぬさ)の錦をささげられないくらいに美しい。とすることで           逆に 脳内で想像。思いだし。つくりだす 読者各々の中に広がる これまでに見た紅葉のなかのモーストビューティフル カラー。カラー。カラー。脳内にわっと広がる 色。色。色。
どこにも書いてへんのに。そら文書博士って言われるわ。余裕しゃくしゃくも仕方なし。                
最後に この人が5歳のときに作ったと言われている歌を。

梅の花 紅(べに)の色にも似たるかな阿呼がほほにつけたくぞある                        (梅の花の色は、紅の色に似ている。阿呼(あこ=道真の幼名)の頬につけてみたいなあ。)

翻案は、子どもが以前、運動会でプラカードを持つ役にえらばれてから、おもしろい傘の持ちかたをするようになったので、そのことを歌にした。歌集「としごのおやこ」に入っています。

ささげもの
ささげるように
プラカードもつように
かさを りょうてで さすここ      今橋 愛

※幣(ぬさ) 木綿や錦の切れ端で作られた、神への捧げ物。旅行の際には、これを道々の道祖神に捧げて、旅の無事を祈った。
※紅葉の錦  紅葉の美しさを着物の錦織に見立てた表現。
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